「おくりびと」は世界に癒しを与えた

歌舞伎、能、華道、茶道、相撲だけが日本文化ではなかった

死生観のなかにこそ、真の日本文化があると世界が認めたのだ

 映画「おくりびと」がアカデミー外国映画賞を受賞したことは嬉しいニュースだった。戦後政治も経済も崩壊し、すべてが混迷する世の中で、オバマ大統領の誕生だけに希望を見いだそうとしていた”哀れな”日本人に大きな勇気を与えてくれた。
 たかが映画、されど映画である。
 カンヌ映画祭で本木さんに会ったことがある。日本レストランで食事をしたのだが、内田裕也、宇崎竜童さんも一緒だった。
 今回オスカーを獲得した同じ滝井監督作品で内田裕也さんが主演した「コミック雑誌なんかいらない」という映画をカンヌ映画祭に出品し、この映画に本木さんも出演していたのだ。当時の本木さんは「しぶがき隊」のアイドルだったが、アイドルぽいところはなく、映画の演技はしっかりしていた。
 その後、尾崎秀美を描いた「スパイ・ゾルゲ」に主演し、この映画で堂々たる演技を見せ、立派な俳優になったな、と思った。
 彼が大変な努力家だということも知っていた。そして今回の受賞である。

日本人の死生観に世界の注目が 前評判の高かったイスラエル映画を押しのけての受賞だった。泥沼のパレスチナ紛争やイラク戦争に世界が疲れ切っている。村上春樹氏がイスラエルで演説したように、なにはともあれ「弱い卵」の側に世界が味方するしか解決の手だてはないようだ。
 そんな中で「おくりびと」は、宗教戦争イデオロギー戦争に疲れた世界に癒しを与えた。滝田監督の力量に加えて、本木さんの生真面目で静謐な愛の演技が世界の観客の心を揺さぶったのだ。
 これまで海外向け日本文化といえば、浮世絵、歌舞伎、能、華道、茶道、相撲の世界ということになっていた。しかしこういう世界は権威主義化しどこか薄汚れた拝金主義が漂っている。日本人は仏教徒と自他ともに認めてはいるが、日本の仏教界は世界の宗教戦争には何も役割を果たすこともなく、観光客を呼び込んでひたすら拝観料を集める拝金主義に陥り、宗教とは無縁の葬式仏教などと揶揄されている。
 そんな中で「おくりびと」が描いた死生観は、日本人が時代を超えてもっていた宗教観がベースになっている。あの世への旅立ちは、悪いことでも何でもない。この世の命を終えた肉体は滅ぶが、肉体の中に存在した魂は転生する。魂は永遠に生き続ける。それが死者を送ることであり、送る人の尊厳なのだ、と映画は教えてくれた。
 さきのコラムで書いたように、クリントン国務長官明治神宮訪問にも、「おくりびと」受賞と同じことを感じた。日本文化の見方がチエンジしているのだ。
 戦後のアメリカは、神道的な死生観を「邪悪なる異文化」として退けてきた。しかしいま「おくりびと」の優しい死生観が、戦いに疲れ切った世界に癒しを与え、日本人自身が忘却していた死者を送る文化が、俄然、注目を集めているのだ。
 そのきっかけを作ってくれた本木さんとアカデミー映画祭の選考委員会に感謝したい。日本は金の力や軍事力でなく、宗教や芸術、哲学で世界に貢献できることを知るべきだ。

 戦後、「過去の戦争に結びつく危険なもの」として退けられ、忘却されてきた日本の本当の歴史文化が蘇りつつある。GHQのホンネは戦死した日本兵の魂が、故郷の杜に戻るという思想を恐れて、神道を排除したのだ。
  「おくりびと」だけでなく、同時受賞した加藤久仁生監督の「つみきのいえ」も素晴らしいアニメーションだ。本木さんや加藤さんのような若手がどんどん世界の映画界で活躍することで、日本は変わるだろう。
 目先の選挙しかない政治家や自己利益に汚れた経済人、税金、年金を横取りする役人たちは、本木さんや加藤さんの爪の垢でも煎じて飲んで、身に染みついた汚れを除いて欲しい。汚れたマスコミもまた同じだ。