敗戦直後の日本人は純粋だった

Tshibayama2009-09-13

白痴化低能番組オンパレードのTVだが

ドキュメンタリー・ドラマ「モンテンルパに夜は更けて」には感動

 昨年の「篤姫」以来、最近はテレビをほとんど見なくなった。ワイドショーは心の痛む非情なノリピー虐めばかりやってるし、ニュースも基本的には政府や捜査当局の見え透いた情報操作の垂れ流しで、ドラマにしてもマトモな頭の人間が見れた代物じゃない。
 筑紫哲也さんが世を去ってしまったいま、ある程度信用できる番組は、NHKの9時のニュースとテレ朝のサンプロくらいしかなくなった。

 「モンテンルパに夜は更けて」は、戦中、戦後に活躍した歌手・渡辺はま子の実話をドラマ化している(渡辺はま子の写真はウィキペディアから)。戦後、BC級戦犯としてフィリッピンモンテンルパには百数十人の日本兵死刑囚が収監されていた。ほとんどは身に覚えのない冤罪だった。
 囚人たちが作った歌が「モンテンルパに夜は更けて」で、祖国を思う魂の叫びが込められていた。これを聴いた渡辺はま子が、モンテンルパ刑務所を訪問してリサイタルを開き、フィリピン大統領と談判して、死刑囚全員を釈放させ、日本へ奪還する物語だ。
 たった3分の歌に込めた思いがフィリッピン大統領の心の琴線に触れ、百数十人の命を救った。歌手・渡辺はま子の行動はいかなる政治の力より強いインパクトを持ったのだ。
 ドラマの中で、モンテンルパ刑務所で囚人と共に歌った「モンテンルパに夜は更けて」の録音も放送され、囚人たちの写真も公開された。みな素晴らしくいい顔をしている。祖国に殉じる覚悟をした軍人の顔で死刑囚の暗さはない。
 当時の日本人がどんなに酷く辛い生活を強いられていたかがわかる。にもかかわらず、家族や隣人や国を思う自己犠牲に満ちた純粋な心を持っていた。
 当時とは比べものにならないほど豊かになったいま、われわれはその時代を忘却している。国敗れて貧困の極みにあった日本だが、立派な日本人がいた。
 そのことを我々は忘れている。現代日本人は自己犠牲の精神を悪と考え、他人を踏みつけ、人に責任を転嫁し、自分のエゴと利益だけで生きている。現代日本人がこんな歪んだ心で生きていると、いまに大きな報いが来るかもしれない。不況もインフルエンザ流行もその報いのひとつかもしれない、、。
 記者時代、A級戦犯靖国合祀問題の陰に隠れたBC級戦犯の裁判記録を捜し歩いたことがある。その一部は法務省の地下倉庫に埋もれていることが確認できた。
 冤罪以前の滅茶苦茶な裁判で1000人以上の若い日本軍人が裁かれ、死刑台の露と消えた。調書は検察官の手で勝手に作られ、囚人はわけもわからずにサインだけさせられている。
 日本政府もBC級戦犯問題にはかかわりたくないとう姿勢だった。多くが冤罪である以上、戦後補償の問題も出てくるからだ。かつてのBC級戦犯の冤罪を放置していたことが、人権意識への無関心を正当化させ、いまの裁判の冤罪の多さにも結びついているのではないか。
 そんなことを思いながら、このドラマを見た。

 わが心、故郷(くに)に伝へよ、椰子の風(南方で死刑になった学徒兵の辞世の句)