桜文化と日本人

Tshibayama2010-04-09

桜の偏愛で国滅ぶ

ソメイヨシノの花見の宴、一色を喜ぶ不思議な日本文化 

 ようやく満開の桜も散り始めた。今春は寒暖の温度差の激しいなか、とりわけ花見の宴が隆盛だった。世の中を不況や雇用不安が覆うなか、古い日本を軽蔑していたはずの若者たちが、桜の下にビニールシートを敷き、酒を飲んで気勢をあげる風景が幾多見られた。一気飲みを皆ではやす風景は、はた目には自暴自棄、ヤケッパチ行動に見える。外人観光客たちの違和感をかきたてる光景でもある。
 ワシントンのポトマック河周辺には、戦前に日本から贈られた閑山(かんざん)という桜があり、満開の春には多くの観光客が訪れる。この桜は濃いピンク色で花も大きい。家族づれの遠足、フットボール、ジョギング、ゲームなどをして人々は楽しんでいるが、酒を飲む人はいない。米国では屋外での飲酒は禁止されてるいるのだが、明るく楽しい桜の下で、あえて酒を飲んで気を紛らす必要もないのだろう。
 いったい花見の宴と深酒がいっしょになったいまの日本文化はどうして生まれたのか?古くから花見の宴はあったが、これは宮中や将軍等の貴族や御殿の遊びだった。

 満開の桜で覆われた「哲学の道」(=写真)を歩きながら考えた。
 桜の種類は300種近くもあるが、日本の花見で幅を利かせる桜は、おおむねソメイヨシノである。花が小さくて白ぽく、遠くから見ると薄紅の雲の塊のように見える。ソメイヨシノは花が咲くだけで、生殖はなく子孫は残さず、実もつけない。
 ソメイヨシノがはびこったのは、明治維新以降である。幕末に江戸の染井村の植木屋から売り出された「吉野桜」がもとで、これが東京の公園、神社仏閣などに大量に植林された。上野公園、明治神宮靖国神社、千鳥が淵などの花見の名所の桜はソメイヨシノである。
 薄ピンクでぼうと雲海のように見える点が好まれる。
 もうひとつの特徴は、一斉に咲いて一週間ほどで散ってしまう。この桜の命の短さ、散り際の良さが、潔さの象徴になったのは明治以降だ。いつしか日本の武士道の美学を表すシンボルとなり、「花は桜木、人は武士」といわれるようになった。
 海軍兵学校で歌われた「同期の桜」もそうだ。国のために潔く死のう、と若者たちの美意識をかきたてたシンボルは、ソメイヨシノだった。さらには、追い詰められた日本が若者を犠牲にした「特攻隊」イメージに桜は重なっていった。
 宮中文化が根付いていた京都ではソメイヨシノへの抵抗感があり、東京のように一挙に植林とはならなかった。しかし古くからあった桜はだんだんソメイヨシノに変わっていった。
 哲学の道ソメイヨシノは、画家の橋本関雪が植林したという。現在、哲学の細い道と疎水は、ソメイヨシノに覆われて絶好の花見の場になっている。疏水の流れは散った花びらで埋まっている。
 哲学の道創始者の西田幾太郎は「絶対矛盾の自己撞着」という日本哲学の真髄を説いた哲学者だが、ソメイヨシノに覆われたいまの散歩道を見たらなんというだろうか?

 京都でソメイヨシノがほとんどないのが、二条城である。最後の将軍徳川慶喜大政奉還を決めた二の丸御殿の入口には、御所から贈られた「御所御車返し」という大粒の桜が植えてあり、ワシントンにある閑山(=写真)もたくさんある。
 武士の牙城だった二条城にはソメイヨシノはほとんど無い。武士が愛好したのは桜ではなく、松であった。松は常緑で枯れない。武士の命が長く続くことを松に託したのである。二条城の壁や襖絵には太い枝ぶりを誇る松の絵が描かれている。
 明治維新ソメイヨシノ一色文化が始まり、これが戦争で若者の命を粗末にする「同期の桜」につながっていった。
 武士道精神のシンボルには、桜より松が合理的である。無謀な太平洋戦争に突進し、退路もなく敗北して何百万人の若者や国民が死に追いやられたときのシンボルがソメイヨシノだった。
 戦後の焼け跡、闇市派の作家、坂口安吾梶井基次郎の作品に描かれた桜は暗く不気味なイメージだ。桜は死を連想させ、桜の木の下には死体が埋まっていると、彼らは表現した。
 
 戦後65年、就職難の厚い壁を突破して入社した新入社員たちは「同期」と呼び合う。同期という言葉には、仲間仲間でない者への排他的意識が混在する。仲間は血の結束を強要され、「同期の桜」となる。
 一斉にぱっと咲いて、ぱっと散るソメイヨシノをいつまでも愛で、シンボル化している間は、「雲の上の雲」から転げ落ちるいまの日本には勝機はない。かつての無残な敗北をまたしても繰り返すかもしれない。
 桜は鑑賞する花としては美しい。その儚さが日本人の心をくすぐることもわかる。
 しかし日本の花、としてシンボル化するのはそろそろやめたほうがいいだろう。桜にはセンチメンタリズムがあるが、松にはそれはない。ソメイヨシノへの偏愛を捨てて、武士道の松を思い起こすべき時代だ。日本人には桜離れが必要だ。