森の中のビートルズ

concert

ダブルファンタジーフリージアの花
 八ヶ岳高原の八ヶ岳倶楽部で開かれたサマーコンサートに出かけた。
八ヶ岳倶楽部日本野鳥の会会長で俳優の柳生博さんが経営しているが、このアコースティクライブは、NHK番組でおなじみの息子さんの園芸家・柳生真吾さんが企画して、毎年、この時期に開かれている。
 バンドリーダーとボーカルは下田秀明さん、日本有数のトルン奏者・小栗久美子さん、ギターとボーカルの鹿内芳貴さん、ボーカルの鹿内悠子さん夫妻、今年からメンバーに加わったバイオリンの森川拓也さん、パーカッションの岡山晃久さんたち(=写真)。
 森の精を招くかのような小栗さんの優雅なトルンの響きからスタートしたコンサートだが、これにバイオリンの森川さんが加わると、一挙にテンポがジャス調に変化した。パーカッションの岡山さんのパフォーマンスで会場が盛り上がってくると、やおら下田さんがビートルを熱唱し始めた。

 私は毎年、京都からはるばるこのコンサートを聴きに八ヶ岳まで来ている。東京で朝日新聞記者をしていたころから、柳生家のご家族の皆さんと知り合い、以来、約20年間、八ヶ岳倶楽部を訪ねている。
 私にとって、サマーコンサートの目的の一つは、下田秀明さんのビートルズを聴くことだ。下田さんは理系の大学出身ということで、本職は学校の先生である。
下田さんは私より年下だが、私にとっても学生時代の思い出のビートルズだが、年をとるにつれ、”封印”していたところがある。グレイな現実に身を沈めて記者の仕事をしていると、ビートルズのラブ&ピースが面映ゆかった。
 しかし年に一度、八ヶ岳で下田さんのビートルズを聴くと、初めてビートルズを聴いたときの感動がよみがえってくるのだ。八ヶ岳の森では心おきなくビートルズを聴くことができた。
 真吾さんと下田さんは先生と生徒の仲だが、ビートルズ好きを通じた師弟の友情の絆は長年、続いているわけだ。

 黄色の花、って何だろう? ジョン・レノンバミューダ島の植物園で「ダブルファンタジー」の花に出会って感動し、このアルバムを作ったといわれる。
 最近、園芸家の柳生真吾さんは、この花がフリージアであることを突き止めた。
 そしてバミューダの植物園に、フリージアの花いっぱい運動、を始めた。すでに400人ほどの賛同者が集まっているという。凶弾に倒れたジョンの平和への意思をバミューダで再現したいのだという。バミューダだけでなく、日本でも種子島の植物園にフリージアの花いっぱい運動を広げるつもりだという。
 種子島といえば、日本に初めて鉄砲が伝来したところ。その種子島からジョンの「ダブルファンタジー」を通じて、彼の平和への意思を世界に発信し、バミューダ島とともに、世界平和をイマジンする発信基地を作りたい、という。

 コンサートでは沖縄の島唄のリクエストも出て、それに応えたボーカルの鹿内夫妻が熱唱してくれたが、ラストはジョンの「イマジン」で締めくくりになった。
 私は大学紛争世代の一人だ。ビートルズは青春のシンボルだったし、「ウイシャル・オーバーカム・サムディ」のジョーン・バエズの歌声は身近にあった。
 あっという間のように感じているが、あれから、ずいぶん遠いところに来てしまった。
 八ヶ岳森の中で聴いた「イマジン」のファンタジーが、世界中に鳴り響けばいい、と思う。
 ビートルズを聴くと、青春の愛読書だったヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』を思い出す。失ったピュアなものを森の中で探す自分を発見している。

海軍の連合艦隊にいた伯父の日記を発見

戦艦八雲

伯父の日記からミッドウエー海戦の嘘と脚色の伝説神話を読み直す

 海軍士官だった私の亡き伯父・宮田栄造は太平洋戦争時、山本五十六長官の率いる連合艦隊でミッドウエー海戦にかかわった。最近、伯父の戦時中の日記、手記らしきものが出てきたと従姉から連絡があり、夏休みを利用して読んでいる。
 われわれが知っているミッドウエー海戦の伝説や神話は嘘と脚色で粉飾されていることがわかった。

 戦後65年のいま、太平洋戦争の現場の知られざる一断面を見る思いで、感慨深い。
 鹿児島出身の伯父は海軍兵学校を出たので出世も早く、若くして海軍大佐に昇進しており、南雲忠一中将や久邇宮の直属の部下として、戦艦・八雲(写真=ウィキペディア)の副長や給油艦・針生の艦長などを務めていた。伯父の専門は給油・補給であり、連合艦隊の後衛を任務としたので、前線のような派手な戦闘の経験は少ないほうだ。
 戦時下とはいえ、暇な時間もあったらしく、釣りを楽しみ、大漁のときは山本長官に”戦果”を届けて、喜ばれたなどのエピソードも書いてある。
 
 内地に戻って海軍兵学校の教員をしたり、戦艦大和の設計や鋳造などにも極秘でかかわったりしていて、戦場と内地を行ったり来たりの多忙な軍人生活だったらしい。

 日記のなかで最も面白いのは、ミッドウエー海戦とガダルカナル島攻防での敗北をめぐる記述である。この海戦は南雲中将が直接指揮した戦で、日本軍は戦艦を大量に投入して物量作戦を展開したが、米軍はレーダー網や暗号解読技術を持って日本軍の作戦を解読していたため、日本は大敗北を喫した。その後に続く、陸軍のガダルカナル島の戦で日本軍は壊滅の打撃を受けた、とされている。

 このミッドウエー海戦の敗北は大本営にも知らされなかったとの説がある。山本五十六長官は連合艦隊や南雲中将の失敗を隠ぺいしたとされた。
 しかし伯父の手記によれば、大本営はミッドウエー海戦の敗北を熟知しており、なぜ日本が敗北したのか、生存者に当たって緊急の聞き取り調査をせよ、との命令を受けたとある。極秘調査チームには海軍の3人の幹部が選ばれ、伯父はその中の一人だった。
 この極秘チームの存在は初めて知ったニュースであり、日本ではまだ知られてはいない。 

 ミッドウエー海戦で生き残り、負傷した将兵が千葉などに極秘で分散収容されており、その秘密の館に赴いて、聞き取り調査を行ったという。
 しかしその内容は極秘で、「死ぬまで墓場まで持っていかばければならない」といって、詳しい内容は日記にも書いていない。
 
 しかし日本海軍の欠点は、レーダー網が弱いとか敵に作戦暗号を解読されていたなどの俗説以上に、戦艦には余計なものや装備が過剰にあり、戦闘には不向きな図体をしていること、もっと軽量で機能本位の設計に改めれば、敵の空爆を受けても戦艦が火災で炎上沈没する可能性が低くなる、などの指摘がある。
 館長室などには有名画家の日本画が飾ってあるし、舶来の豪華インテリアやソファも設置されているが、いざ戦闘というときには、これらは邪魔で火災には弱いものだ、といっている。
 要するに邪魔で余計なものが多すぎる海軍組織を合理化しないと、米国との戦にはとても勝てないということだ。
 
 またミッドウエー海戦の敗北とガダルカナル戦の敗北を機に、山本長官は大本営に対して、犠牲を最小限にとどめるために、この辺で戦争を一服させたらどうか、との伺いを立てたとの記述がある。停戦と和平の模索である。
 大本営はこの提案を一蹴した。大本営は戦闘の現場を知らず、いたづらに精神主義を鼓舞して戦争継続の消耗戦にのめり込んでゆく。それが3年後の敗戦まで続いた。

 ミッドウエー海戦は、1942年6月、真珠湾の奇襲から半年ほど後の戦だ。それなのに、伯父はこのまま戦争を継続すれば敗北することを暗示している。「誰にもいえないことだが」と書いている。

 海軍の前線には合理主義精神と現実主義があった。若かった伯父は当時の山本長官の提案には疑問を持ったようだが、よく考えればそれが妥当だったと思う、としている。

 少なくとも、山本長官がミッドウエー海戦の敗北を隠ぺいしていたというのは誤りだ。このことは伯父の手記を読めば一目瞭然だ。

 山本長官は翌年、米軍の攻撃で戦死し、南雲中将はサイパンの戦闘で敗北して自決した。伯父は尊敬する上司や同僚を失って、敗戦を迎えた。忸怩たる気持だったようだ。
 海軍幹部でありながら、真珠湾奇襲の開戦も終戦の決定も、事前には何も知らされておらず、釈然としない気持ちで戦争に臨んだようだ。
 戦後、公職を追放となり、亡くなるまで小中学校の子供たちに教科書を売る仕事をしながら生計をたてていた。

 伯父の手記が語るように、もしミッドウエー海戦の後、停戦が実現していたら、原爆投下も過酷な本土空襲も玉砕の島も少なく、沖縄戦もなく、数百万に及ぶ国民の命が守られたことだろう。

 そう考えると、大本営が徹底抗戦で突っ走り、戦争末期には少年兵の特攻隊を作り、沖縄を犠牲にし原爆を招いた罪は重い。

 思うに、ミッドウエー海戦の調査で叔父が指摘した軍組織の非合理性と無駄の横行はいまの日本の中央集権政治にも当てはまっている。また前線の幹部にすら情報を明かさないで、ことに及ぶことも共通している。
 こんなことが継続すれば、国民はいつでも国家の破たんや失敗のつけを、自らの命と財産で埋め合わせなければない羽目に追い込まれるのだ。
 

龍馬ブームのなか、わが幕末維新の散策

Tshibayama2010-04-19

西郷方の兵卒として西南戦争に参加した先祖に思いをはせてみた

NHKドラマの影響で、龍馬人気がすごい。司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」で脚光を浴びた龍馬だが、司馬さんの本では龍馬暗殺の謎を深く追求していなかった点、物足りなさがあった。龍馬暗殺は新撰組や見回り隊の仕業という定説はあるが、近年、この謎を解く本がいくつか出版されている(=写真は坂本龍馬の墓がある京都霊山護国神社

 薩摩の西郷隆盛大久保利通が影の仕掛け人だとか、長州藩桂小五郎が指令したとか、公家の岩倉具視がかかわっているとか、諸説が入り乱れている。龍馬は現代でも謎解きのネタに事欠かない大人物だから、与野党を問わず政治家たちが憧れる理想像のようだ。
 
 京都四条の電車の駅や売店には、「龍馬と歩く京のまち」という案内パンフレットが置いてあり、これを手にして龍馬ゆかりの旅を楽しむ老若男女が、狭い京都の町にあふれている。京都の史跡は”歴女”たちの心をつかむだけではなさそうだ。
 高瀬川界隈から木屋町周辺は、藩邸跡や志士たちの住居跡が密集している。三条大橋のたもとにある龍馬ゆかりの池田屋は観光スポットの居酒屋になっている。海援隊の本部があった材木商の酢屋は、当時の面影を伝えて「ギャラリー龍馬」と名を変えていた。
龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋の屋敷はなくなっていて、石碑だけが立っていた。
 少し足を伸ばして、壬生寺新撰組屯所跡まで歩くと、そこには幕末の別の顔がある。壬生寺には龍馬の敵として戦った近藤勇土方歳三らの墓があり、屯所屋敷には刀傷が鮮やかに残っている。「加茂の河原に千鳥が騒ぐ、またも血の雨、涙雨、、」の歌が流れている。屯所の瀟洒な庭は、150年前の血のドラマの様子をじっと見ていたのだろう。
 誰が敵で誰が味方かわからない、何が正義で何が不正義かもわからない。それを決めるのは自分だけ、というすさまじい時代を生きていた志士たちに思いをはせた。

 私の先祖は西郷方の志士として西南戦争に参加した。子供のころ、亡父から数回、この話を聞いたが、私は関心を持たなかったばかりか、変な先祖がいるな、と思ってその記憶を封印した。父は川柳を詠んでおり、号を南州と称していた。南州とは西郷隆盛の号と同じである。父は大の西郷びいきだった。
 しかし西南戦争は西郷の負けで、負ければ賊軍だからな、あまり誉めた話じゃない、と父はつぶやいていた。
 祖母はよく篤姫の話をしていた。篤姫の幼馴染みで、島津家の家老の家に養子に入った肝付尚五郎の実家と祖母宅は交流があり、その話もよく聞いていたが、それが小松帯刀のことだとは、ずっと後で知った。実は、昨年のNHKドラマ「篤姫」を見て、初めて篤姫の存在に目を奪われたものだ。祖母の話が蘇り、子供のころの記憶というものは本当に危うく、儚いものだと知った。
 自分の先祖がどういう人で何をしていたかもよく知らないのだ。若者が歴史を知らないと嘆く大人になったいまでも、自分の家族の歴史には疎い。
 直系の先祖が幕末維新のひとつの強烈な動きに関与したことは面映ゆい。そう思って人にも話さなかった。ジャーナリストとして、歴史が客観的に見れなくなるのを何よりも恐れたからだ。
 しかし年をとって、封印していた記憶を解くようになった。龍馬ゆかりの地を散策しながら祖先をしのぶと、自分が歴史の小さな一齣の中で生かされていることを感じる。
 義を持って生きた人間の死は対等のはずだと思うようになった。龍馬の死にも土方歳三の死にも同等の義があるのだときずく。龍馬を好む人、西郷を好む人、近藤・土方を好む人、それぞれである。
 もっと名もないが、自らの義に殉じた志士たちがたくさんいる。さらに誰にも顧みられることもなく死んでいったおびただしい人間が歴史の闇の中に呑まれている。
 これに気がついた人が、歴史の闇に呑まれてしまった無名の人たちを救い出すしかない。
 龍馬だけが英雄ではないのだ。いつまでも龍馬を偏愛していると日本人の精神はいびつになる。
 海音寺潮五郎の『西郷と大久保』を読んでいたら、薩摩藩士同士が凄絶な内ゲバをやった伏見の寺田屋事件のとき、私と同じ柴山姓の薩摩藩士が複数加わり、一人が死んでいることがわかった。ひょっとするとこの人物はゆかりの人かもしれない。寺田屋坂本龍馬の定宿だった。著名な政治家が龍馬の親戚の親戚のそのまた親戚の遠縁にあたるといっていたが、そんなことをいえば日本中はみな親戚になるかもしれない。まだ調べてはいないが、そのうちに調べようを思っている。

桜文化と日本人

Tshibayama2010-04-09

桜の偏愛で国滅ぶ

ソメイヨシノの花見の宴、一色を喜ぶ不思議な日本文化 

 ようやく満開の桜も散り始めた。今春は寒暖の温度差の激しいなか、とりわけ花見の宴が隆盛だった。世の中を不況や雇用不安が覆うなか、古い日本を軽蔑していたはずの若者たちが、桜の下にビニールシートを敷き、酒を飲んで気勢をあげる風景が幾多見られた。一気飲みを皆ではやす風景は、はた目には自暴自棄、ヤケッパチ行動に見える。外人観光客たちの違和感をかきたてる光景でもある。
 ワシントンのポトマック河周辺には、戦前に日本から贈られた閑山(かんざん)という桜があり、満開の春には多くの観光客が訪れる。この桜は濃いピンク色で花も大きい。家族づれの遠足、フットボール、ジョギング、ゲームなどをして人々は楽しんでいるが、酒を飲む人はいない。米国では屋外での飲酒は禁止されてるいるのだが、明るく楽しい桜の下で、あえて酒を飲んで気を紛らす必要もないのだろう。
 いったい花見の宴と深酒がいっしょになったいまの日本文化はどうして生まれたのか?古くから花見の宴はあったが、これは宮中や将軍等の貴族や御殿の遊びだった。

 満開の桜で覆われた「哲学の道」(=写真)を歩きながら考えた。
 桜の種類は300種近くもあるが、日本の花見で幅を利かせる桜は、おおむねソメイヨシノである。花が小さくて白ぽく、遠くから見ると薄紅の雲の塊のように見える。ソメイヨシノは花が咲くだけで、生殖はなく子孫は残さず、実もつけない。
 ソメイヨシノがはびこったのは、明治維新以降である。幕末に江戸の染井村の植木屋から売り出された「吉野桜」がもとで、これが東京の公園、神社仏閣などに大量に植林された。上野公園、明治神宮靖国神社、千鳥が淵などの花見の名所の桜はソメイヨシノである。
 薄ピンクでぼうと雲海のように見える点が好まれる。
 もうひとつの特徴は、一斉に咲いて一週間ほどで散ってしまう。この桜の命の短さ、散り際の良さが、潔さの象徴になったのは明治以降だ。いつしか日本の武士道の美学を表すシンボルとなり、「花は桜木、人は武士」といわれるようになった。
 海軍兵学校で歌われた「同期の桜」もそうだ。国のために潔く死のう、と若者たちの美意識をかきたてたシンボルは、ソメイヨシノだった。さらには、追い詰められた日本が若者を犠牲にした「特攻隊」イメージに桜は重なっていった。
 宮中文化が根付いていた京都ではソメイヨシノへの抵抗感があり、東京のように一挙に植林とはならなかった。しかし古くからあった桜はだんだんソメイヨシノに変わっていった。
 哲学の道ソメイヨシノは、画家の橋本関雪が植林したという。現在、哲学の細い道と疎水は、ソメイヨシノに覆われて絶好の花見の場になっている。疏水の流れは散った花びらで埋まっている。
 哲学の道創始者の西田幾太郎は「絶対矛盾の自己撞着」という日本哲学の真髄を説いた哲学者だが、ソメイヨシノに覆われたいまの散歩道を見たらなんというだろうか?

 京都でソメイヨシノがほとんどないのが、二条城である。最後の将軍徳川慶喜大政奉還を決めた二の丸御殿の入口には、御所から贈られた「御所御車返し」という大粒の桜が植えてあり、ワシントンにある閑山(=写真)もたくさんある。
 武士の牙城だった二条城にはソメイヨシノはほとんど無い。武士が愛好したのは桜ではなく、松であった。松は常緑で枯れない。武士の命が長く続くことを松に託したのである。二条城の壁や襖絵には太い枝ぶりを誇る松の絵が描かれている。
 明治維新ソメイヨシノ一色文化が始まり、これが戦争で若者の命を粗末にする「同期の桜」につながっていった。
 武士道精神のシンボルには、桜より松が合理的である。無謀な太平洋戦争に突進し、退路もなく敗北して何百万人の若者や国民が死に追いやられたときのシンボルがソメイヨシノだった。
 戦後の焼け跡、闇市派の作家、坂口安吾梶井基次郎の作品に描かれた桜は暗く不気味なイメージだ。桜は死を連想させ、桜の木の下には死体が埋まっていると、彼らは表現した。
 
 戦後65年、就職難の厚い壁を突破して入社した新入社員たちは「同期」と呼び合う。同期という言葉には、仲間仲間でない者への排他的意識が混在する。仲間は血の結束を強要され、「同期の桜」となる。
 一斉にぱっと咲いて、ぱっと散るソメイヨシノをいつまでも愛で、シンボル化している間は、「雲の上の雲」から転げ落ちるいまの日本には勝機はない。かつての無残な敗北をまたしても繰り返すかもしれない。
 桜は鑑賞する花としては美しい。その儚さが日本人の心をくすぐることもわかる。
 しかし日本の花、としてシンボル化するのはそろそろやめたほうがいいだろう。桜にはセンチメンタリズムがあるが、松にはそれはない。ソメイヨシノへの偏愛を捨てて、武士道の松を思い起こすべき時代だ。日本人には桜離れが必要だ。

敗戦直後の日本人は純粋だった

Tshibayama2009-09-13

白痴化低能番組オンパレードのTVだが

ドキュメンタリー・ドラマ「モンテンルパに夜は更けて」には感動

 昨年の「篤姫」以来、最近はテレビをほとんど見なくなった。ワイドショーは心の痛む非情なノリピー虐めばかりやってるし、ニュースも基本的には政府や捜査当局の見え透いた情報操作の垂れ流しで、ドラマにしてもマトモな頭の人間が見れた代物じゃない。
 筑紫哲也さんが世を去ってしまったいま、ある程度信用できる番組は、NHKの9時のニュースとテレ朝のサンプロくらいしかなくなった。

 「モンテンルパに夜は更けて」は、戦中、戦後に活躍した歌手・渡辺はま子の実話をドラマ化している(渡辺はま子の写真はウィキペディアから)。戦後、BC級戦犯としてフィリッピンモンテンルパには百数十人の日本兵死刑囚が収監されていた。ほとんどは身に覚えのない冤罪だった。
 囚人たちが作った歌が「モンテンルパに夜は更けて」で、祖国を思う魂の叫びが込められていた。これを聴いた渡辺はま子が、モンテンルパ刑務所を訪問してリサイタルを開き、フィリピン大統領と談判して、死刑囚全員を釈放させ、日本へ奪還する物語だ。
 たった3分の歌に込めた思いがフィリッピン大統領の心の琴線に触れ、百数十人の命を救った。歌手・渡辺はま子の行動はいかなる政治の力より強いインパクトを持ったのだ。
 ドラマの中で、モンテンルパ刑務所で囚人と共に歌った「モンテンルパに夜は更けて」の録音も放送され、囚人たちの写真も公開された。みな素晴らしくいい顔をしている。祖国に殉じる覚悟をした軍人の顔で死刑囚の暗さはない。
 当時の日本人がどんなに酷く辛い生活を強いられていたかがわかる。にもかかわらず、家族や隣人や国を思う自己犠牲に満ちた純粋な心を持っていた。
 当時とは比べものにならないほど豊かになったいま、われわれはその時代を忘却している。国敗れて貧困の極みにあった日本だが、立派な日本人がいた。
 そのことを我々は忘れている。現代日本人は自己犠牲の精神を悪と考え、他人を踏みつけ、人に責任を転嫁し、自分のエゴと利益だけで生きている。現代日本人がこんな歪んだ心で生きていると、いまに大きな報いが来るかもしれない。不況もインフルエンザ流行もその報いのひとつかもしれない、、。
 記者時代、A級戦犯靖国合祀問題の陰に隠れたBC級戦犯の裁判記録を捜し歩いたことがある。その一部は法務省の地下倉庫に埋もれていることが確認できた。
 冤罪以前の滅茶苦茶な裁判で1000人以上の若い日本軍人が裁かれ、死刑台の露と消えた。調書は検察官の手で勝手に作られ、囚人はわけもわからずにサインだけさせられている。
 日本政府もBC級戦犯問題にはかかわりたくないとう姿勢だった。多くが冤罪である以上、戦後補償の問題も出てくるからだ。かつてのBC級戦犯の冤罪を放置していたことが、人権意識への無関心を正当化させ、いまの裁判の冤罪の多さにも結びついているのではないか。
 そんなことを思いながら、このドラマを見た。

 わが心、故郷(くに)に伝へよ、椰子の風(南方で死刑になった学徒兵の辞世の句)

マスコミにも政権交代が必要だ

子飼いのマスコミ使った与党の情報操作に負けずに
 民主党の歴史的大勝を実現させた国民 

 ついに政権交代が実現した。世論調査の結果から民主党の勝利は疑わなかったが、300議席獲得の大勝は予想していなかった。与党政府は子飼いのマスコミを通じてあざとい情報操作をしていたし、民主党には不利なニュースがたくさん流されていたからだ。
 選挙戦の日程に合わせたかのように、突如、マスコミを席巻した”ノリピー祭り”も、民主党への追い風から国民の目をそらせようとする情報操作のひとつで、これにも与党議員と官僚が関与しているといわれる。この事件も政府与党の思惑とは異なり、国民に現政権の腐敗と非情さを感じさせる結果になり、逆に民主党の終盤の追い風に転化した。 国民はこうした負の情報操作に惑わされずに、あえて政権交代を選択した。国民は政権交代への不安より、このまま自公政治が続けばゾンビのような無能官僚との癒着、既得権益政治が続き、国民の税金も年金も官僚政治に食いつぶされると判断したのだ。背景に官僚の専横に対する不信感をこえた恐怖がある。 
 従って今回の民主党の大勝は、国民が全面信頼したわけでなく、自公政府からの緊急避難の意味があったことを民主党関係者は肝に銘じるべきだ。
 自民党は大きく数を減らし、落ちるべき人は落選している。しかし加藤紘一、安部普三、石破茂氏らの保守政治の本流をいく政治家が当選している。
 いつまでも民主台風が吹き荒れるわけではないから、官僚のいいなりにならない良質な保守政治を守る政治家がもっとたくさん育つ必要がある。
 民主党への国民の期待は格差社会の抜本的な是正である。地方と中央、大企業と中小企業、正社員と派遣などの目に見える格差是正だけでなく、たとえばインフルエンザワクチン接種の順序などの決定のプロセスを透明にして特権者との差別を生まないようにすべきだ。
 また格差社会の拡大は法の適用に関しても、地位や階級によって恣意的な運用形態がしばしばあり、国民の格差拡大の実感を大きくしている。  
 真実を隠す情報操作はあってはならないことだが、官僚と記者クラブを通じたマスコミの情報操作として日常的に存在する。情報操作によって国民は真実から隔離され間違った情報を受け取って操られてしまうのだ。
 最も悪質なものは警察や検察などの捜査機関を使った”国策捜査”だろう。小沢前代表の秘書が政治資金規正法違反で逮捕された事件は、あえて選挙前に立件されたことで、国策捜査と見ることができる。
 捜査情報は政府筋に近い官僚からマスコミにリークされ、テレビや新聞がニュースとして書きまくる。間違ったニュースでも一方的に書かれた側は反論する権利も機会もなく、やられっぱなしだ。
 作家で外務官僚だった佐藤優氏も、外務省で自分が逮捕された事件は国策捜査だったと訴えている。また選挙期間中のマスコミが垂れ流した女優・酒井法子覚せい剤事件も、与党議員がからんだ国策捜査が疑われている。
 国策捜査は違法であり、国民の心を傷つける。刑事被告人として逮捕された人間の権利や名誉をも著しく傷つける悪質なものだ。
 民主党国策捜査の被害者でもあったのだから、こうした事件の背景や仕掛け人を告発し、国策捜査のない透明な政治を実現してほしい。米国だと厳格な法的政治的コントロール下に置かれたCIAが行う仕事を、一介の官僚や政治家が個人的な利益のために闇で仕掛けるのが、日本の国策捜査の実態である。
 情報操作はマスコミの記者クラブを使うのが通例だから、これをやめさせるために、各官庁にある記者クラブに無料で部屋を貸すシステムを改める時期にきている。官庁付き記者クラブがなくなれば、情報操作の危険度がはるかに減り、政治の透明性と国民との対話とコミュニケーションがスムーズに行われる。記者クラブは世の中の正しいニュースと情報の流れを阻害する元凶になっている。| - | 22:26 | - | - |

法の適用も格差社会か?

 法の下の平等とは何か
 押尾被告保釈?とノリピー長期勾留について

 かつては一億総中流化社会といわれ、格差のない豊かな社会として世界の羨望の的だった日本だが、最近はひどい格差社会になってきたようだ。
 失業率もうなぎ昇りでこのままゆくと、失業先進国の仲間入りしそうな勢いだ。
 格差とは収入や物質的な面で起こっていると思われているが、それだけではない。 教育を受ける権利とか法の平等な適用を受ける権利にも格差が露呈しつつある。教育には学費がかかるから、収入の多寡が教育を受ける権利と直結しているからわかりやすい。
 しかし、法の適用を受ける権利にも格差ができてきた。これはもやは民主主義社会ではない。民主主義の国家の主権者はあくまで国民で、選挙によって国民の代表が選ばれて政治を代理執行している。従って法の適用にあたって、人によって違う扱いや差別があってはならないのだ。同じことをしても、ある人は罪を免れ、ある人は厳罰に処せられるというのが法の格差であり、政治的な差別になる。
 押尾被告の保釈が決まり、ノリピーが再逮捕され10月ごろの公判まで釈放なしで拘置されるとの報道に、法の適用の格差を見る。
 押尾被告は麻薬を使っただけでなく、いっしょにいた女性が死亡、放置して逃げ、携帯電話を捨てた疑いがある。保釈すれば証拠隠滅をする恐れが高い。女性の両親も捜査への不信感をあらわにしておられる。
 これに対してノりピーは、逮捕状が出るまでは姿を隠したにせよ、それ自体は犯罪ではないし、マスコミが騒ぐような証拠隠滅の具体的な証拠もない。覚せい剤については素直に自白もしていて、子供もいるのに、起訴後いつまでも身柄拘束するのか、という疑問は当然だ。
 保釈するならノリピーが先ではないか。ノリピーには後ろ盾が何もなく、押尾被告には外交官の父親とか政財界の有力者がバックに控えているから保釈されるのか?そういう疑問は普通の国民感情の中に渦巻いている。
 何よりも国民の心を痛めているる問題は、ノリピーの息子さんと学校のことだ。夫も逮捕されているので、誰が面倒をみるのだろう。いろいろ細かいことは置いて、そろそろ子供のもとへノリピーを返したらどうか、というのは偽らざる国民感情だろう。それでもし再犯したら、そのときこそ厳罰にすればいい。日本には”大岡裁き”という伝統もある。

 ノリピーに対する報道も捜査当局の姿勢も人間的な情を欠いているようにみえ、国民感情の中で格差の実感を一層、広げている。
 選挙で当選した新政権が日本社会に蔓延する格差是正に取り組むことを国民は強く期待している。