ラストエンペラー、天津の屋敷跡から

Tshibayama2007-04-17

温家宝首相の氷を溶かす旅とは?

 温家宝・中国首相の国会演説を聞きました。
中国古典の李白杜甫を引用し、阿倍仲麻呂、鑑真和上など日中の歴史上の人物を列挙して、長い日中の歴史を解説する知的なパワーを感じました。にこやかでしなやかな印象を振りまき、中国の新しい指導者イメージを演出しました。ソフトパワー、ということです。
 経済発展を続ける13億の民をまとめるには、権力主義ではないソフトな知的パワーが必要だということがわかります。
 内輪の小規模な権力闘争に明け暮れ、一寸先は闇といい、目先だけとりつくろって後先のことを顧慮できない日本の政治家に比べれば、国家の求心力という点で、よほどしっかりした戦略を持っています。
  ”反中国”を自認している、右よりのテレビ番組「テレビタックル」ですら、温家宝演説を評価しているような素振りを見せていました。
 もっとも扇千影衆議院議長が温演説に感銘を受けたという答礼に対しては、番組は冷やかしていましたし、国会議員たちの拍手が大きすぎたなどの苦言まで呈していました。テレビが温演説を手放しで評価すると、日本の沽券にかかわるとでも思っているのでしょうか。
 評価すべきは評価する、という素直な気持ちが日本人に欠如しているのは痛ましいことです。何事も裏を読み、瑣末事をあげつらう癖は、被害妄想の表れなのでしょうが、いまこそ日本人は歴史の事実を正視する勇気と強い精神力を養う必要があるでしょう。それが本当の教育改革ではないか。
 陰謀史観、というのがあります。真珠湾攻撃でも、日本ではルーズベルト米国大統領の陰謀真珠湾攻撃をさせられた、という根強い陰謀史観が堂々とまかり通っています。しかしチャーチル英国首相が米国を第二次世界大戦に参戦を促して、ルーズベルトに働きかけた戦略の内容はあまり知られてはいません。
 またロイター通信などの欧米メディアは、反日の国際世論を作り、最終的に日本は国際世論の流れによって敗北したわけです。陰謀だけで歴史が動くという話は被害妄想の現れであり、歴史の本質を無視した非合理的な歴史観です。
 少年のころ、「せっかくとった満州国を手放したことは本当に悔しい、日本を敗戦国にした米国を憎んでいる」と話す元関東軍の軍人の話を聞いたことがあります。日本の正義を信じていた彼は、中国大陸の戦闘の模様と武勇伝めいた話を、手振り身振りで聞かせてくれました。話の中に、残虐行為も含まれていました。少年の私は、戦争の話を聞きたさに、その人のところに通ったことがあります。
 今回、天津から北京の旅をして、日中の新しい関係を築く必要を痛感しましたが、同時に非常な困難があると思います。氷を溶かす旅、といった温首相の方法論には、その大きなヒントが存在しています。
清朝最後の皇帝・溥儀(ラストエンペラー)が、革命で紫禁城の皇帝の座を追われたあと、天津に移り住んだことがあります。その後、溥儀は満州国皇帝にかつぎだされ、日本の敗戦で満州国が解体したあと、中国軍に捕らわれました。
 溥儀が住んだ天津の「張園」「静園」の跡が残されていました。中国の観光ガイドには、屋敷の名前は出ていますが、溥儀の最後の居留地という説明はありません。
 張園は、赤レンガの高い塔がそびえる立派な洋風建築で、当時、欧米諸国の居留地があった天津の面影をしのぶことができます。中国革命の父孫文もここを尋ねたことがあります。(写真はラストエンペラーの屋敷跡「静園」=天津で、筆者撮影)。
 しかし、現在は京劇関係者が管理しているらしく、少年図書館が付属していました。中庭はかなり荒れていました。
 静園は、満州国皇帝になった溥儀がここから旅立ったといわれる屋敷です。1930年11月10日夜半のことでした。周囲にめぐらされた土塀は、当時の面影をとどめていますが、建物は一般の中国人に解放され、アパートのように使われていたようです。現在、建物はすべて解体され、工事中でした。
 張園と静園はとおりを隔てて隣接していますが、この地区は天津の下町にあたるところで、小さな商店や住居が密集しています。外国の居留区があったところからも離れていて、かなり荒廃しているという印象があります。
 二つとも歴史的な文化財ですが、日本の手先として満州国皇帝になった溥儀は、中国人から見れば、裏切り者ということになるのでしょう。建物周辺やガイドブック、博物館などの展示から溥儀の名前を発見することはできませんでした。
 唯一、アメリカ資本のアストリア・ホテルのロビーのパネルで、ラストエンペラー溥儀が宿泊したことがある、という記録を見ました。
 しかし、天津でもオリンピックのサッカー競技などがありますので、観光資源として、張園・静園を修復工事中という話も聞きました。そうなれば、二つの歴史的建物が現代によみがえるかもしれません。さらに中国から見れば、抹殺したいと考えていただろうラストエンペラー・溥儀の名前が、中国の歴史の中に、再び登場してくるかもしれません。
 
 歴史のトラウマは被害を受けた側にだけ存在しているわけではありません。加害者にもトラウマがあるのです。トラウマから逃れるために、互いに歴史を抹殺しようとします。
 日中の双方がお互いのトラウマを克服し、氷を解かすことからしか、新しい関係は始まらない思います。