漢学者・白川静氏の死

なかなか認められなかった業績

 漢学者の白川静氏がなくなりました。96歳という高齢でした。
白川さんは漢字研究の第一人者で、中国文学研究者で氏の右に出る人はいないといわれています。文化勲章も受章しています。
 しかし白川さんが今日の評価を得るまでに、長い歳月がかかりました。私がまだ駆け出しの新聞記者のころ、白川さんは新聞社の賞の候補者になったことがありました。日本の文化・学術に貢献した第一人者の業績に対して贈られる賞です。ところが当時、白川さんに対するアカデミックな評価は高くありませんでした。
 若かった私は、日本の学界の偏狭さ、学閥意識の強烈さを身にしみて感じたものです。
 白川さんは独学に近い勉強で、巨大な学問を完成させた稀有な学者ですが、当時の学界は東大、京大などの旧帝大がいま以上に大きな影響力を奮っていました。特に中国文学研究は旧帝大の独壇場でした。京都の私立大学出身の白川さんを、素人学者だと言い放つ高名な学者もいました。
 在野の白川さんこそ、受賞にふさわしいと思って取材を続けていた私です。しかし業績や実力とは全く関係のない要素が、学者の評価にとっては重要だということを思い知ったものでした。挫折感すら味わいました。
 約20年後、白川さんは文化勲章を受けましたが、業績がマトモに評価されるまでに、それだけの歳月を要としたということです。
 学界に限らず、日本社会にはいまだにに”偏狭さ”が満ちています。停滞し澱んでいるところほど、その傾向が強い。異質な存在をよってたかって排除しようとします。流行する子供のイジメもそういう大人社会の反映にすぎません。
 白川さんの業績が優れていればいるほど、嫉妬でそれを認めたくない学者たちがたくさんいたのだと思います。
 無視することで、能力有る人物を排除するわけです。これは横並びの同質な文化を尊ぶ日本社会の特徴です。
 白川さんは長寿を全うすることで、正当な社会的評価を得た学者だと思います。もし短命であったとしたら、努力が報われないまま人生を終えられていたかもしれません。長生きされて本当に良かったと思います。
 長生きしないと、才能も仕事も他人に認めてもらえない場合があるのです。若い時代に恵まれない時期を過ごした人は特にそうです。
 いま傷ついて死に急ぐ若者たちに、白川さんの不屈の人生とすさまじいほどの全業績を見せてやりたいものです。