東京ローズの死

Tshibayama2006-10-10

国家に引き裂かれた戦場のアイドル

 戦時下、米軍向けラジオ放送で有名だった東京ローズの一人、アイヴァ・郁子・戸栗・ダキノさんが、米国シカゴで亡くなった。90歳だった。
 日系アメリカ人二世の戸栗さんは、数奇な運命にもてあそばれた女性だ。学生時代、日本の親戚に遊びに来ていたとき、太平洋戦争が始まった。米国に帰国できなくなり、そのままNHKの「ゼロアワー」というラジオ番組のキャスターに雇用された。
 「ゼロアワー」は、米軍兵士向けのプロパガンダ放送だ。東京ローズの甘い声と語り口は、戦場の米兵たちのアイドルとして有名になり、厭戦気分をかきたてた。
 戦争が終わり、戸栗さんはGHQに戦犯として逮捕され、巣鴨刑務所に収容された。(写真はGHQの尋問を受ける戸栗さん=フリー百科事典「Wikipedia」から)。
その後、国家反逆罪の罪名を背負って米国に送還され禁固10年、市民権剥奪という重罪を課せられ、服役した。東京ローズは10人くらいいたとされるが、なぜ日系人の戸栗さんだけがやり玉に上がったのか、不明だった。
その後、戦時下の日系人が蒙った迫害事件が表面化して米国世論を動かし、日系人の名誉回復が行われるようになった。戸栗さんの裁判への疑義が生まれ、恩赦と市民権の回復があったが、戦後、30年も経た後のことだった。
 記者時代の私は、戸栗さんへのインタビューを試みて、様々なルートでコンタクトした。戸栗さんの実家はシカゴで雑貨商を営んでおり、店を手伝っているということだった。
 シカゴ大学の知人が店の近くに住んでおり、買い物にゆくと、戸栗さんが商品や釣り銭の受け渡しをすることがあるが、会話はしない、といっていた。その知人は、戸栗さんと話したことはない、といった。
 自分のことはいっさい話さない。それが戦後の戸栗さんを貫いた姿勢だった。
戸栗さんに関する本は、米国で一冊、日本で一冊出版されているだけだ。
 戸栗さんが、長くて辛い戦後をどのように生きてきたか、その心の中はわからない。
 祖国からは国家反逆罪の汚名を着せられ、戸栗さんを利用した日本政府は何も弁護しなかった。日本は、まるで戸栗さんが自分の意志で東京ローズになったかのように扱った。
 戸栗さんはアメリカのマスコミの取材にはいっさい応じないが、日本の新聞のインタビューには答えてくれるかもしれない。そういう期待もあって、私は何度かトライしたが、良い結果は得られなかった。 
 私以後も、多くの在米特派員たちが戸栗さんのインタビューを試みたようだが、いずれもうまくゆかなかった。
 結局、戸栗さんは世の中に一言も言葉を発しないままに、逝ってしまった。
戦争と国家の狭間に投げ込まれた個人、その深い闇を見る思いがしている。
 いま、北朝鮮が核実験を実施して、きな臭い匂いが漂う。人間は過去に学ぶことができない愚かな生き物かもしれない。
 果たせなかった仕事の重みだけが、私の心の中に残っている。