白昼の死角ーー女子学生殺人と研究室の合い鍵

 山口県高専の女子学生殺人事件は、犯人の少年の自殺という悲惨な結末で終わりました。
この事件は、犯人が19歳の少年だったため、顔写真掲載や実名報道の是非がメディアの中心的な課題になりました。19歳なら匿名、20歳なら実名報道、逮捕されて連行、送検される姿の放映もOKというのは、少年法に対するメディアの側の法的形式主義であり、人権意識とはいえません。
 それはともかく、この事件にはメディアが見落としているもうひとつの落とし穴があります。
 それは研究室という密室で起こった犯罪だという点です。研究室の合い鍵を未成年を含む学生5人が所有して自由に部屋に出入りしていたといいますが、国立の学校でこんなことが許されていたのはおかしい。鍵の管理責任は当該教授と学校にあり、研究室で起こったことは、すべて教授と学校の責任となるはずです。
大学の専任教員をしていたとき、私も研究室をもっていましたが、合い鍵を作ることは禁止されていました。出勤のとき鍵を事務室まで取りにゆき、帰宅するときは返却するのです。窮屈なこともありますが、これは正しい鍵の管理方法だったと思います。
 卒論の指導もありましたので、学生から研究室の合い鍵を作ってほしという要求はありました。研究室の本や資料を使いたいという学生の気持ちはわかるのですが、管理上の理由からそれはしませんでした。研究室に学生がいるときは、必ず私もいました。
 教員不在だと、未成年の学生が部屋で飲酒したり、パーティまがいのことをしないとも限りません。喫煙による火災の心配もあります。
 まさか殺人事件が起こるとは思いませんでしたが、それが杞憂ではなかったことを、今回の事件は証明しました。
 少子化で、学校も教員も学生の受けを気にします。研究室の鍵を解放し、自由に使わせている教員は学生人気を得やすい。学生からの評価が高いと、査定も良くなります。
 今回、事件の影に隠れて、担当教授は全く顔を出さないし、名前すら不明です。
もし研究室の合い鍵を解放していなければ、殺人は起こらなかったはずです。その点、安易に研究室の合い鍵を学生に解放していた当該教授と学校の管理責任がもっと問われるべきではないか。犯人は自由に使えて密室性の高い研究室を犯行の場に選んだからです。研究室はまさに”白昼の死角”なのでした。
メディアはこの重大問題を忘却しているか、無視しているように見えます。