テロが不気味なご時世

 自民党加藤紘一議員の自宅が放火され全焼した事件は、どうやら右翼が関与しているようです。加藤議員は、昨日の小泉首相靖国参拝をめぐり、テレビ出演して批判的な意見を述べていました。また東京裁判に関する靖国神社歴史観についても、否定的な見解を語りました。
 自宅放火は、加藤議員の自由な言論の封殺を意図したテロではないかと思います。自由にものがいえない、いやなご時世になったものです。
 福沢諭吉が、テロが不気味な世の中になった、と書いていますが、これは幕末・維新の話です。横丁の煙草屋に煙草を買いにゆくときにも、背中に不気味な気配を感じて気が重い、というような話です。
福沢の本を読んだときは、さすがに幕末・維新の話だな、と感じ入りました。言論活動の重圧感、命の危険といった不気味な感覚が日常生活と共にあったわけです。そんなことは私の想像を超えていました。
 現代には言論の自由があり、民主主義の時代ですから、福沢の書いたようなテロの不気味さを日常生活の中で感じることなどあるまい、と思っていました。
 しかし加藤氏の事件は、そう安閑としてはいられない時代になったことを示しています。
 現代における「テロとの戦い」とは、海外から侵入してくるテロリストとの戦いであると思っていましたが、それだけではないようです。
 むしろ、自由と民主主義を破壊するテロの温床は、国内にも存在していることを明確に意識する必要があります。
 かつての盟友が卑劣なテロに会ったのですから、ブッシュ大統領テロとの戦いを支えてきた小泉首相は、国内のテロとも戦ってほしい、と思います。
 福沢が嘆いたような不気味なご時世に、現代の日本を引き戻してはなりません。