グッドナイト&グッドラック

Tshibayama2006-05-24



 映画「グッドナイト&グッドラック」を見ました。ジャーナリズムをテーマにした珍しい映画です。マッカーシズム赤狩り)の嵐が吹き荒れた1950年代のアメリカ、
自由と人権の抑圧に対して戦うテレビキャスターやジャーナリストたちの物語です。
 モノクロの渋い画面で、アクションもほとんどない。でも、人間の心が詰まった素晴らしい映画です。レトロなジャズが流れるニューヨークの町のけだるい雰囲気も良くでています。これは古き良きアメリカかもしれない。
 主人公のキャスター、エド・マローは「テレビはメカの詰まったただの箱だ。もともと何の価値もない。使う人間がテレビに価値を与える」といっています。
 煙草をくゆらしながら、終わりに、「グッドナイト&グッドラック」というマローの姿は、かっこいいのですが、久しぶりにアメリカの良心を見せてくれた映画でした。
 70歳のジョージ・クルーニー監督が、金のためではない、この映画だけはなんとしても撮っておきたかったと、資産をなげうって制作したという映画です。ベネチア国際映画祭で高い評価を受け、アカデミー賞の6部門でもノミネートされました。
 赤狩りは、共産主義者を告発するという名目で、自由主義者や進歩的な人物を追いつめました。言論人だけでなく、国務省、軍、ホワイトハウス、ハリウッドなどの関係者たちが赤の嫌疑を受け、次々と職を追放されました。
 映画は、赤狩りを仕掛けたマッカーシー上院議員と敢然と戦ったテレビキャスター、エド・マローが主人公です。テレビはまだ台頭したばかりでした。マローは、マッカーシーをテレビ画面に引きづり出して、その化けの皮をはがしてゆくのです。
 テレビカメラは、映された人物の本質と欺瞞を透視する力があると、『メディア論』を書いたマクルーハンが述べています。
 マローの試みは的中し、活字の新聞では暴けなかったマッカーシーの嘘を次々に暴いてゆきました。マッカーシーは失脚し、アメリカは再び自由と民主主義の国に戻りました。
 その後、マッカーシズムアメリカの歴史の汚点、といわれるようになりました。
 1960年に大統領になったJFK(ケネディ、のちに暗殺)は、マローの大ファンだったといいます。
 著名なニュースキャスターは、大統領よりも影響力がある、といわれますが、マローはそのさきがけになったジャーナリストでした。
 クルーニー監督は、娯楽や金儲けに走るいまのテレビとジャーナリズムのあり方に警鐘を鳴らしています。
 わが、日本のテレビ界の関係者もこの映画を見て、少しは知性や思考力、良心を取り戻してほしいと思います。テレビは何のためにあるのか。何の役に立つメディアなのか。ただの金儲けと遊びの道具なのか。テレビに人間が精神的な価値を与えなければ、ただの無意味な箱だということを、深く自覚してほしい。
 国から電波が与えられ、番組枠があるから何か作る、というのでは、何の価値もありません。生活がかかっているかもしれないが、心あるテレビ人の皆さん、マローを手本にして頑張ってください。